川根にもたらされる極上の恵み、
形を変えていく未来。
独自の魅力と課題が交差する川根には、食や観光のフィールドに大きな未来が広がっています。
地域特有の課題に真摯に向き合い、視点を変えて、その中から恵みを捉え直すこと。
再生(リジェネラティブ)への第一歩です。
※本取り組みは一般社団法人TOKYO FOOD INSTITUTEが主体となり、
食と観光を切り口として、島田/川根地域の地域再生物語をまとめたWebサイトです。
※本取り組みは一般社団法人TOKYO FOOD
INSTITUTEが主体となり、食と観光を切り口として、島田/川根地域の地域再生物語をまとめたWebサイトです。
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大井川流域、川根の風土
川根とは静岡県榛原郡川根本町と島田市川根町から成る、
南アルプスから駿河湾へと流れる大井川流域に発展した山あいの地域を指します。
全国有数の茶産地であり、今も日本茶品評会で一、二を争うのは川根本町のお茶です。
しかし、近年では高齢化や過疎化、主要産業である茶業の衰退によって地域特有の価値を見直し、
食・観光業を中心とした新たな変化が兆し始めています。
リジェネラティブとは
リジェネラティブ(Regenerative)とは、欧州を中心に発展した新たな概念であり、
日本語で「回復・再生」を意味します。
持続可能な未来に対して、短期的ではなく長期的な価値を重視すること。
環境課題の解決のみならず、本来あるべき自然の生態系を再生させることを目指していることから、
現在日本の各地域、特に過疎地域における人・自然資源を再度捉え直す運動が起こっています。
製茶問屋による川根茶を再構築する挑戦
株式会社カネス製茶
製茶問屋 | 小松 元気 さん
フードソリューションや日本茶など、都内のスタートアップ企業数社を経て2022年に静岡に戻り、家業である株式会社カネス製茶に入社。高級ボトリングティーライン『IBUKI bottled tea』を2022年11月にリリース。早稲田大学卒。
圧倒的な味わいを未来に残す
「川根はすごいお茶を作る四賢人を中心に、お茶のグレードが圧倒的に高い産地」だと話すのは製茶問屋、カネス製茶の小松直美さん(専務取締役)。直美さんのいう四賢人とは長年、茶の全国品評会上位入賞で名高い茶農家4軒のこと。駿河湾から立ち上る水蒸気が南アルプスの山々にぶつかり、川根に濃い川霧と雨をもたらします。山あいにあり、昼夜の寒暖差が激しいことも茶の栽培に幸いしました。これ以上ない立地に研究熱心な農家の技量が加わり、川根は長らく高品質茶を世に送り出してきました。しかし現在では、過疎化や高齢化による茶業に携わる人口の減少、それに伴う耕作放棄茶園の増加など、看過できない問題も抱えています。小松元気さん(ブランディングマネージャー)は、今後、茶はグレードの高いリーフ茶とペットボトルの材料になるような低価格茶の2極化が進むと予想。川根茶のような高品質のお茶を消費者に喜ばれる形で製品化するのも製茶問屋の役目だと話します。その一つの解がボトリングティーでした。
フレッシュなお茶そのもの
高価格帯のボトリングティーは、封を切った瞬間、淹れたての極上茶が味わえることから「日本茶インストラクターが丁寧に淹れたお茶を超える」と茶業研究者にも驚かれました。人の手では再現できないほど精密な製法で作られたボトリングティー開発の背景には「お茶への接点を増やしたい、そして茶業界に若いプレーヤーを呼び込みたい」という元気さんの言葉の通り、後継者が茶業界の未来に寄せる情熱があります。カネス製茶が開発した「IBUKI<息吹>」は金色透明、香り味わい共に濃く、五感に訴える存在感があり、ノンアルコールドリンクながら銘醸ワインに並んで一歩も引けを取りません。例えば海外の、全くお茶を淹れた経験のない人にとって、淹れ手のスキルが影響しないボトリングティーは一つのソリューションとなっています。
希少な茶産地が生き延びる方法
構造的に高品質茶が売れにくくなっている中、川根のように茶畑の手入れにすら苦労する山あいにあり、収量は少ない高品質な茶産地の価値を再構築するためには、ボトリングティーという形態は大きなアドバンテージとなります。「製茶問屋は消費者に最も近い場所で、潜在するニーズを掘り起こし商品を生み出す立場」と話す元気さん。ボトリングティーは消費者のライフスタイルの変遷に合わせ、新しい飲み方を提案することで、実直に茶を作り続ける希少な茶産地と農家を意識的に護っています。それはまた、合組(ごうぐみ)という茶産地それぞれの魅力を掛け合わせる製茶問屋の伝統的な手法を用い、川根だけでなくカネス製茶のある島田市金谷、そして牧之原、藤枝、掛川、森という茶産地をハブ(集約地点)として支える動きでもあるのです。
茶と共にゆずと桜が海外へ
カネス製茶が海外、主にヨーロッパに輸出している商品の中に、桜葉やゆずをブレンドした香り高いお茶があります。茶葉を合組(ブレンド)し、そこに香りを組み合わせて三重奏、四重奏のように奥行きのある商品を構築していく作業は茶師の得意分野。商品開発を行っている直美さんが絶妙なバランスで組み合わせた桜葉のブレンドティーはフランスで大人気となりました。「私自身、桜葉の香り成分であるクマリンが大好きなんです」と直美さんが話す通り、鼻腔を抜ける香りは天然の植物の持つ力強さとはかなさを兼ね備え、人工香料とは全く違う豊かな風味を感じさせます。テロワールを大切にするヨーロッパで大井川の流域で育ったお茶と桜、そして川根本町のゆずが受け入れられるのもまた、当然のこと。川根産のゆずはお茶と同様に香り高さが身上だからです。南アルプスの自然が大きく作用する山あいの小さな地域、川根。海を超え愛される商品には、小さな地域の実りが世界の普遍となる、そんな可能性すら宿っています。
唯一無二の香りを放つゆずが町の未来を変える
株式会社Agrinos
ゆず農家 | 中野 菜穂 さん
川根本町に生まれ「この町にずっと住みたい」と考え、株式会社アリノスの地方創生事業部に就職。そこから生まれた関連会社株式会社アグリノスの広報担当、川根本町オフィス担当を務めている。
都内の企業を惹きつけた小さな町
戦略的コンサルファーム出身のCEOが率いるベンチャー企業「アリノス」が地方創生事業の協働パートナーに選んだのが川根本町でした。地方創生事業に共感し、行政・企業・住民が一体となって、町を盛り上げる活動に協力的だったからです。最初からオープンマインドで「本当にいい人ばかりだとアリノスのメンバーも感じました」と話すのはアリノスの地方創生事業部から生まれた会社であるアグリノスで広報、川根本町担当を務めている中野菜穂さん。川根本町のフレンドリーな雰囲気は、アリノス以外にも訪れた多くの人が感じています。その良さは訪れた人以外に伝わりにくいものの、町の持つ大きな財産ではないでしょうか。
東海4県でゆずの生産量が第一位
「ここ数年でやっとゆずが知られてきたと思っています」と中野さん。中野さんが子どもの頃、川根本町は名実ともに「お茶の町」でした。当然のように小・中学校では製茶工場やお茶農家に社会見学に行ったり、授業でお茶の飲み比べがあったり、歴史を学んだり、町の基幹産業であるお茶への理解を深める教育がごく普通に行われていました。でも、実はゆずも40年ほど前から作られている川根本町の特産品。お茶と同じく、朝晩の寒暖差が大きい川根本町の気候が、他産地よりアロマ成分の高いゆずの生産に結びついたと言われています。現在、静岡、愛知、岐阜、三重の東海4県の中で、川根本町はゆずの生産量一位を誇ります。
ブランディング化と課題の克服へ
法人の垣根を超え、川根本町のゆず農家が一丸となって知名度を上げるための活動を始めたのはここ3〜5年のこと。ゆずを通して、川根本町と他の地域のタッチポイントが増えています。香り高いゆずを産む川根本町の豊かな自然や、携わる人たちの温かな人柄も共に知られ始めている現在、ゆずはお茶と共に、もしくはお茶から受け継がれ、新たな川根本町の代名詞となる可能性すら感じさせます。アグリノスのゆずは、全てお茶の耕作放棄地で作られているもの。耕作放棄地を使って次に何を作るのかは茶産地の持つ大きな課題です。茶畑の土壌は長年の間に酸性に傾き、その点ではゆずの栽培には適していません。しかし水はけのよさはマッチしているため、アグリノスは土壌の適性を活かしながら、丁寧に栽培を行なっています。
町内を歩き、ゆずの葉を食べる鹿たち
大切なゆずの木にとって、招かれざる客がたびたび訪れます。野生の鹿たちです。鹿は山から降りてきて、町内を悠々と歩き、アグリノスのゆずの木の葉を食べていきます。「鹿の背の高さ以上だと食べようとしても届かないので、上の方は葉が茂っているのが分かりますか?」。葉の少なくなった枝は枯れ、木が弱っていきます。アタックしたのか、ダイナミックに折れてしまった枝も見受けられます。「鹿は賢いので、怖くないと学習すると何度も来ます」。囲っている電気柵の間隔が空いていたりすると、そこを抜け道にしてするっと入り込んだりも。川根本町の豊かな自然環境が香り高いゆずを生み出しているのですが、その魅力はまた、鳥獣被害と隣合わせでもあるのです。
猟師は人間世界と動物世界の境目の番人
山は動物、里は人間の領域
殿岡邦吉さんが自分の職業を告げると、初対面の人に「動物を殺すなんてかわいそう」と反応をされることもあります。「もちろん僕も鹿や猪が憎いわけではないんだけど、お百姓さんが困っているのを見ると里に降りてくるのは何とか阻止してあげなくちゃと思うんです」。高齢の農家は鳥獣被害が度重なると農作自体をあきらめてしまう可能性もあります。それは町の元気を奪っていきます。「精魂込めて作物を作っている人のやりがいを奪ってはいけないと思うんだよね」。20歳で猟師になってから50年余、「猟師は人間世界と動物世界の境目の番人みたいなもの」。里は人間の領域であることを山の動物たちに示しています。
ベテラン猟師の目に映る山道は
「畑の枝豆が食べられちゃった」、そんな町民のSOSで殿岡さんが畑に駆けつけると、そこには明らかに痕跡が残っています。「残された足跡や被害の状況を見ると、鹿や猪がどのようにやって来たのか、手に取るように分かります」。状況から推理して、動物が掛かりやすい場所に罠を仕掛け、後日、掛かったところを仕留めます。これが罠猟です。複数の猟師が猟犬を連れて行う巻狩りという猟もあります。山の中で他の猟師の動きやそれに伴う動物の動きを予測して持ち場でじっと待つ忍び猟もあります。忍者のように静かに歩き、銃を構え、動物が気づくより先に射止めます。山道を歩くといつ頃、どのような動物がこの道を歩いたのか、殿岡さんの目には情景が浮かびます。そうなれば一人前の猟師です。
引き継ぐ技術とジビエ販売
殿岡さんは十数年前からジビエを販売するようになりました。川根本町のいくつかのレストランで、殿岡さんのジビエを食べることが可能です。じっくりと火を通した鹿のステーキの中心は、赤ではなくて美しいロゼ。お肉を納める時は「ぜひ女性の喜ぶメニューを作ってあげて」と若いシェフに伝えます。せっかくの命を廃棄するのは忍びないという思いに加え、取引先を増やして若い猟師に引き継ぎたいと考えています。殿岡さんの弟子の一人が地域おこし協力隊として川根本町に移り住んだ渡辺実優さん。新米猟師として殿岡さんに教えを乞う身です。渡辺さんは大学のフィールドワークで川根本町を訪れ、この町の魅力にはまりました。殿岡さんにアテンドしてもらえる狩猟ツアーも企画しています。
山の恵みをいただくという考え
「実優にも言うんだよ、畑にいるおじいさんやおばあさんには大きな声で挨拶をしなさいって。そうしたら野菜をくれるかもしれないよ」。殿岡さんの軽口には、町民と交わることなくただ観光しても、この町の良さは半分も伝わらないのではないか、という思いが背景にあります。挨拶を交わして世間話をし、少しずつ仲良くなっていく。仲の良い人が鳥獣被害に困れば、助けないわけにはいかない。温かな気持ちのやり取りが助け合いにつながっています。「この町は本当に豊かなんです。僕らは山の恵みをいただいて日々、楽しく生きています」。そこには、見知らぬ観光客が飛び込んでも受け止めてくれる大らかさがあります。お茶と菓子を用意し、丁寧に話を聞かせてくれ、猟に使う罠を見せてくれる殿岡さんの姿には、猟師としての自負と川根本町を訪れた人への温かなもてなしの気持ちが表れていました。
静寂を楽しむ新しい滞在作法
2022年、台風後のオープン
長年、関西に暮らしていた風早勝恵さんがふるさとの青部で農家民宿「風和里」を開いたのは、2022年秋、台風15号が川根本町を襲った直後のことでした。「大井川鐵道のSLもオープン直前の台風で不通になってしまって…」。台風は川根本町に大きな爪痕を残しました。大井川鐵道は2024年現在もいまだ全線復旧には至っていません。果たしてどうなるのか、迷いながらもオープンしたところ、お客様はバスや自家用車でこの町に足を運んでくれています。賑やかな時代を経て、静寂が何よりの贅沢と知った人が増えたからかもしれません。この古民家で鳥の声や風の音を聞いているうちにまどろみ、うたた寝するお客様もいるとか。川根本町に魅了され移住して来た同業者もいるほど、「何もない」町の豊かさは人の心に沁み入っています。
採れたての恵みが食卓に並ぶ贅沢
風早さんの実家は元々川根本町の農家であり、今も母が現役で丹精込めて野菜を作っています。取材の日のメニューは自然薯に鶏のみぞれ煮、椎茸の味噌汁と、川根本町の名物と旬の野菜がにぎやかに並び、都会では味わえないごちそうでした。キャベツとトマトの和えものの隠し味は自家製の柚子胡椒。ゆずも唐辛子も川根本町産のものです。風早さんは「この辺の人は時期になるとみんな作りますよ」と謙遜しますが、香りの高さが市販品とは全く違います。風早さんに旬の野菜を教わったり、散歩に出て町の人と言葉を交わしていると、知らず知らずのうちに生活習慣や1日の過ごし方がチューニングされそうです。窓の外に目をやれば緑に癒され、こたつに向かえば静寂が身を包み、ワーケーションにも絶好の環境。マインドフルネスも難なく実践できそうです。
海外の旅人が文化に触れ、食を楽しむ
海外からの旅行客の方が新しい滞在方法を楽しんでいるのかもしれません。アジアからは修学旅行生が町内の民宿に分散して泊まったり、日本を好きな若いバックパッカーが訪れたりしている風和里。「海外の方にも特別な料理は出しませんが、皆さん、お箸を使って上手に食べていますよ」。イタリア人の旅行客が風早さんにパスタを振舞ってくれたこともありました。川根本町産のにんにくと唐辛子を使ったペペロンチーノは今も記憶に残っている味です。カナダ人とアメリカ人の女子学生は日本語コンクールの上位成績者のご褒美として日本へ。「女の子だから一緒にお雛様を飾って、お着物を着せてあげました」。そのお雛様は台風被害のあったお宅から救い出されたもの。「奇跡的にお顔は綺麗でした。段飾りの段はダメになってしまっていたので、今は百科事典の上に毛氈を引いて飾っているんです」。
もてなしは変わらず地元のお茶で
さまざまな旅行客に風早さんが出すのは青部のお茶。昔は一軒一軒の農家が茶摘みから製造まで一貫して行い「我が家の味」を守っていたお茶も、今は生産量が減り、青部町内で一斉にお茶摘みをして、それを共同工場に持ち込みまとめて製造しています。「でも、青部のお茶であることに変わりはないから」。風早さんは旅行客が風和里に到着すると、まずお茶を淹れ、「青部のお茶です」と言って一服のお茶を差し出し、長旅のお客様を労います。そのお茶は窓の外に広がる景色にふさわしい、山あいの香りがするものでした。長い歴史を重ねお茶の持つ価値が変化しても、熱い一杯のお茶を振る舞うことが相手を思っての行為であることに変わりはありません。旅行先としてだけでなくこの町に移住する人も多いのは、静かな環境だけでなく、川根本町の人の温かさにも触れた経験があるからなのかもしれません。
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